東海道四日市宿(三重県四日市市)の数少ない名残とされる、ある「門」が産業廃棄物になるピンチを迎えている。戦禍をくぐり抜け、台風禍で処分されそうになったところを救われた。次なる運命は、再建か産廃か――。
四日市宿は東海道の43番目にあった宿場町。門は、江戸時代に大名や公家、幕府の役人らが泊まる幕府公認の宿舎「黒川本陣」の玄関口にあった。瓦に黒川家の家紋が入った門が高貴な旅人を迎えていた。
黒川本陣は明治維新後の東京遷都の際、明治天皇の行在所にもなった。これを名誉とし、大正時代に黒川家から建物を寄贈された三重県四日市市は、市内の諏訪神社近くに移設し、「行幸記念館」とした。建物とは別に、門は明治末期に市内の寺院・薬師寺に山門として移された。
戦時中の空襲で市内中心部は焼け野原になり、行幸記念館も焼失。薬師寺の山門は奇跡的に難を逃れ、知る人ぞ知る四日市宿の名残として戦後も時を刻んだ。
つい3年前までは――。
いまは瓦や木材などに解体され倉庫で眠っている。預かるのは、四日市大学非常勤講師で地域文化論を教える前田憲司さん(63)。
3年前、前田さんが門と出会った時は、まさに取り壊される寸前でした。
前田さんによると、2019年秋、薬師寺を通りかかると、門の解体工事の真っ最中だった。聞けば、台風で壊れかけたので処分することになったという。前田さんが事情を説明して、処分に待ったをかけた。
「数少ない四日市宿の名残な…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル